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日本教育問題日文

發布時間: 2020-11-18 06:22:24

① 日本留學問題,別課和一般入學的問題。

日語學校是指經日語教育振興協會認定的日語教育機構。大學別科指的是,原來是大學等高等教育開設的日語班。但目前來看,對大多數私立大學及短期大學來說,別科已經成為幫助進入本校為目標的外國學生實施日語教育的機構。這或許也可以解釋為什麼生源相對充足的國、公立大學基本不開設別科的原因。
同學們應根據自身赴日本的長遠目標來考慮學校的類型,特別是尋找具體的學校。如果是希望考入知名的大學特別是國公立大學,可能選擇那種以指導學生升入知名 大學為建校目標的語言學校,(在指導留學生參加「留學生考試」方面創造過輝煌記錄,在升學指導方面非常有特色的)為宜;如果只是為了學日語,那一般的語言學校就可以了;如果不希望參加「留學生考慮」而希望直接升入某所心儀的私立大學,考慮先進這種私立大學的別科或許就更便利。
當然語言學校和別科的上述區別也不是絕對的,在決定目標之前,同學們還是應該根據自身的條件,仔細向日本校方查詢。 在日本的教育機構,原則上全部採用日語授課,採用英語授課者很少。對於要在日本的高等教育機構(研究生院、大學、專門學校)深造的外國留學生,預先具備充分的日語能力是非常重要的。因此,希望去日本留學的人,如果你的日語水平尚未達到一、二級水平,就應先在國內學習基礎日語,然後去日本學習至少半年至兩年的日語後,再參加於每年6月中和11月中在東京等地舉行的「日本留學考試」。各大學一般都根據此成績錄取學生。
在日語教育設施中,以希望進入大學院、大學或專門學校的日語教育設施一般分為兩大類,即私立大學(含短大)的留學生別科和經日本語教育振興協會認定的一般日語教育機構。
(一)私立大學留學生別科:
私立大學留學生別科在法律上是作為大學教育的一環而實施的正規教育課程,屬於大學編制,受大學董事會領導,持「留學」簽證,學習期限一年。大學別科主要是為希望進入該大學或其它大學的外國留學生而因日語水平達不到入學要求而設立的日語研修課程。留學生通過一年的日語強化學習,在經驗豐富的老師指導下,具備能夠和日本學生交談,能和日本學生一樣地在大學課堂上聽懂講課並具有寫作文、整理報告、寫論文的能力。除日語課外,選修科目中設有日本文學史、日本文化研究和日本事務等課程。有的大學還針對留學生的升學目標而開設英文和文理科目的輔導課程,每星期一至五全天授課。
在大學別科學習,學生的學習條件優越,因為他們可以和本大學本科生一樣利用大學的圖書館、電腦、視聽覺機器設備。有的大學規定,如在別科學習日語的留學生,其日語程度已達足夠水準就可以和經濟學部、法學部、文學部等大學本科學生同教室而以旁聽生資格一起上課。絕大部分大學對別科畢業生都設有推薦入學制度。即只要學習成績優秀,學習態度和出席狀況良好的學生,都可以免試升入該大學的各學部(醫、葯學部除外)、研究生院、短大等。而具有大學本科和大專學歷者,也可插班到同專業的大學二年級或三年級就讀。當然,有的大學雖有推薦制度,但還需要經過一定的考試後才能進入該大學學習。這里還有一點需要提醒的是,有的大學規定只以升入本大學為入學條件,而不允許報考其他大學,請事先了解清楚。
在別科學習的外國留學生因擁有「留學」簽證,因此在課余兼職、宿舍、交通和醫療補助等福利保障方面也有著更多的優越性。據日本私立大學團體聯合會公布的資料,目前在512所私立大學中,經日本文科省批准設有外國留學生別科的大學僅有58所,這其中不乏有日本著名的私立大學。全年招生總人數2500人左右,每個大學的招生人數一般在15-150名之間,絕大多數每年招收30-40名。
申請別科的基本條件是:

1、普通高中、大專、大本畢業生或當年將要畢業者
2、要有「日本語能力考試」3、4級以上合格證書或提供200學時以上的日語學習經歷
3、家庭要有一定的經濟能力
另外,每個大學根據自身情況還會有一些其它的規定和要求,例如,有的大學別科要求申請人不僅要有國內的經濟擔保人,還應在日本有聯系人或保證人,以便學生在校學習的1年期間,學校有事可與聯系人聯系。
(二)一般的日本語教育設施
這里主要指兩類學校
(1)經日本語教育振興協會認定的373所「日本語學校」。
這其中除東京的「國際學友會日本語學校」和大阪的「關西國際學友會日本語學校」是早年由日本外務省創辦而現由文部省管轄的外,其餘的語言學校均由學校法人、民法法人、株式會社、任意團體、個人等創立的私立學校。大多數語言學校分為上午班和下午班的二部制,每天學習4小時,每周學習20小時。在留資格為「就學」簽證。另外,在370餘所日語學校中,日本文科省指定了17所
學校為「大學升學的准備學校」(含國際學友會的兩所學校),在留資格為「留學簽證」。日本文科省規定,自高中升入大學必須接受過12年教育,但有的國家如馬來西亞等國的學制只有11年,因此來自這些國家的學生要想在日本考大學,就必須先在上述指定的語言學校中接受1年「准備教育課程」後才能報考。在這些學校的教學中,不僅教授日語,還講授文理科的基礎科目。一般每天上課6小時,每周上課30小時。這些學校的教學設施都比較先進和完備,教學質量有保障,另外,學校還設有食堂和宿舍。當然這些學校的入學條件相對來說也比較高,目前,也有不少中國大陸學生在這些學校學習。
(2)依日本學校教育法設立的專門學校中的日本語課程。
這類學校數量同日語學校相比只佔很少一部分,教學內容和時間安排同日語學校基本一致。按日本有關規定,在留資格為「留學」簽證。
(三)對比
學習年限
每周授課一年學費
大學別科 1年 30課時60-75萬日元
日語學校 1-2年 20課時65-73萬日元
綜上所述,私立大學別科和日語學校的學雜費不相上下,但別科的學習時間要比語言學校多,教學質量也高,只要自己努力學習,完全可以在一年時間里把自己的日語水平提高到2級或1級。另外,凡在大學別科學習的留學生,只要成績優秀,出勤率好,基本上都可以被免試推薦進入該大學本科或研究生院學習,在這點上比語言學校佔有很大的優勢。此外,絕大多數大學別科都規定留學生有雙向選擇,如果不願意升入本大學學習,也允許報考其他的國公立、私立大學。
如果去日本學習日語,是選擇私立大學別科還是走語言學校這條路,每個人都要根據自身條件、留學計劃和家庭經濟能力等做綜合的考慮和選擇。

② 日本留學的問題~

1.我17歲,今年12月就18歲了,也拿到了高中文憑,到時2級日語證書也有
了,能去日本留學嗎?
可以申請明年4月生,沒問題,有高中文憑有2級直接考大學,別上語言學校和別科;今年日本大學入試大都提前了,別耽誤了
2. 我能不能直接過去學習計算機專業類的?
可以,高中生考日本大學不受專業限制,像你這種,估計都搶著要(我倒可以提供學校名單,呵)
3.能不能邊學習邊打工?
日本允許留學生合法打工,你可以獲得資格外活動許可,如果你有一定的it基礎,找到1200日元/小時的打工機會很容易,
4.一個月要花多少錢?(不亂花錢)
看學校所在地區,東京圈多一些,3000人民幣左右,其他地區2000多就可以了,你自己都能打工了,還在乎生活費?
日本大學都到國內來考試,練好口語,學好禮儀,一考一個准~~~~~~~
---非中介,只憑良心提供信息

③ 學日語難不難想問下日語學習應該去哪裡學

學習日語當然不難。在入門的階段日語學習可以在網上找一些視頻資源進行自學的方式。

④ 日語一點也不會,能去日本留學嗎

一:概念明確

首先你要無論你去日本上任何學校,必須先申請語言。也就是日語語言學習學校課程。

二:日本語言學校項目優勢:

1-留學生享受國民待遇,公費醫療

2-學費相對便宜,對留學生的學歷和經濟能力要求不高

3-獎學金眾多

4-可半工半讀,勤工儉學,機會多薪水高,可以補貼自己的學生和生活費用

5-升學機會:語言學校有針對性的考大學、考研輔導,而且學生可以直接參加大學的面試,這樣考上名校的機會很大。語言學校特有的大學推薦制度,對留學生升學有一定保障作用,同樣是經過考試,但有學校推薦的學生錄取會高很多。

6-解決簽證問題:語言學校雖然表面上看起來是學語言的,但對於要進入大學、大學院的學生來說,學語言只不過是它的一個非主要職能。對中國學生來說到日本參加大學、大學院入學考試的簽證是一道難關,語言學校恰恰能解決這個難題。

三:日本語言學校分類

1-真正意義上的日本語學校

2-依日本學校教育法設立的專門學校中的日本語課程

3-准備教育課程

四:如何申請語言學校

1-學校申請時間:日本的招生季主要是每年的4月和10月,1月和7月也會有部門學校招收補充生和插班生,但招生學校和招生數量都比較少。學生盡量申請4月和10月的主要開學日期,同時建議學生盡早進行申請

2-留學費用概況:一般語言學校一年的學費是60萬日元——75萬日元之間的。

3-申請材料匯總:

申請人資料匯總:

a-基礎材料:身份證、戶口本、護照、照片

b-學業材料:最終學歷及成績、在讀證明及成績、在職證明(如已工作)。備註:材料無需公證。

c-語言材料:日語成績(NAT、J-test等)和日語學時證明(由語培機構出具的一份證明學習日語的文件)

擔保人資料匯總:

a-擔保人在職證明(備註:在職證明中的單位聯系電話必須真實有效。)

b-親屬關系公證

c-資產證明:

1-存單及存款證明(需有3個月歷史記錄的20萬存款證明,如無,則需提供《資金來源說明書》)

2-其他資產證明(房證、車證、基金、信託、股票、大額保險等)

d-擔保人收入及納稅證明(備註:證明文件上必須有近三年的收入數據)

五:申請學校的流程

⑤ 日本留學費用問題,明白的請進!

我人在日本 把我當初的情況告訴你吧
1.除去存款證明的 其他費用加起來10萬夠了 但是南方地區的中介費貴 所以有時候會13萬左右 至於存款證明 你打出銀行的證明後錢就可以換給人家了
2.既然你很省的話 帶個10-15萬是夠了 一般人是帶20萬過來 也就是1萬多人民幣
3.東京的話 時給1000日幣是基礎 當然忙的店 高級店1100到1500的都有可能 一般是月結 鄉下地方時給700到1000不等 我以前去的仙台更低 才600多
4.店主能收你的話就可以的 但是在外面當服務生可能水平還差點 所以廚房幫忙打雜 洗碗這些你是可以勝任的咯 關鍵點是面試時你表現得禮貌 有自信點 這樣成功率就大了

⑥ 求早稻田大學日本語教育研究科的前輩們答疑啊!

失禮しますが、早稻田大學日本語教育研究科とは、なんというものですか回はまずよく了解してお答かないといけないのですよね。早稲田のホームページでよく確認したほうがよいと思いますが、仆は早稲田ではなく、早稲田の姉妹校のK.O出身だったのですが。

⑦ 關於和風日語公益留學問題。

和風留學是一家專業性很強,非常正規的一家留學機構。


和風通過貼心的日專本端現地服務及中日兩屬國強大專家團隊服務,成長為中國最大的日本留學服務機構之一,至今已近萬名學生通過和風踏上了日本求學之路,每年都有大量學生考入了日本頂尖名校!由於和風的卓越表現,多次受到中日領導的邀約接見。先後獲准成為日本JALsa(全日本語言學校協會)、JAFSA(日本大學聯合教育機構)會員。


在中國也獲得了行業內的認可,自2010年開始先後榮獲了「中國留學五強」「最具公信力品牌服務機構獎「「最具網路影響力出國留學機構「等獎項。在2016年,和風獲得了新浪網頒發的中國「留學行業風向標」獎、騰訊頒發的中國「影響力教育在線品牌」獎。2017年獲得騰訊網「年度影響力留學服務品牌」榮譽、中國網中國好教育「品牌影響力在線教育機構」稱號。2018年 獲得中國網「影響力留學品牌」稱號,並再次獲得騰訊「年度影響力外語教育品牌 」。

更多問題請咨詢和風客服!

⑧ 求日語高手、翻譯下面段落、不要用在線翻譯、謝謝

新世紀に入り、我が國の教育者の視野はもっと広くなって、日本語教育の國際比較考察を通じて、ほかの國の日本語教育の経験や教訓に參考し、我が國の日本語教育の現狀と問題を分析して、我が國の日本語教育の改革進道を探しなければならない。
以前の日本語教育思想や內容、教育方法はもはや我が國の教育の基盤は試験教育が素質教育への進化に順応できず、現代の科學技術の急速な発展にも順応できない。標準的な人材を育てる學校教育は現代社會の発展の需要と極めに吻合していない。日本語教育は伝統的な教師を中心として、教室や教科書を中心し、受身で、依頼して、単一の教育モデルであり、それを変わらなければならない。
現在、改革の問題は主として三つがある。一つは、今までの受験制度や規制の弊害や學習を主張する理念を是正して、學歴を重視することを能力を重視することとなる;二つは、伝統的な教育を変え、學生が発見が上手になる事と自學する事を勵ましあげる;三つは、日本の文學歴史や風俗習慣などを理解することによって、日本語を勉強し、そして會話や聴力能力を高める。
以上是我自己翻譯的,可能有的地方翻譯的不是很准確,但大概就是這樣,希望採納

⑨ 中日兩國學生的生活

日本語教育と異文化コミュニケーション

キーワード: 語學力 異文化 理解力 コミュニケーション力

インターアクション

1 はじめに

わが國の経済の発展と社會の変革に伴ってわが國の日本語教育も目覚しい発展を見せている。日本語の多様化は十年ほど前思わなかったものである。上海では専攻日本語教育のある大學は80年代のいくつかの重點大學に限らず、いま普通の大學にも専攻日本語教育があるようになり、改革開放後、新しく成立された民営の大學でも専攻日本語教育を次々と開設するようになった。また上海のさまざまな教育訓練機関でも日本語コースを設立し、日本語會話、日本語能力試験、日本留學の指導をしている。特にそういう訓練機関は上海地元の機関だけでなく、日本、台灣、香港からの機関もあり、教育の內容、使用教材及び教育方法なども違う。確かにいまの日本語教育は多様化、普遍化の方向に発展している。
日本語教育の多様な発展と日本語學習者の大量増加から日本語が世界で人気のある外國語の一つになっていることが分かる。それは日本語教育者としてとても喜ぶことであるが、同時に日本語の學習者、日本語教育という事業に対して責任を負っていろいろ考えなければならないと思う。學習者の學習する動機がさまざまであるが、私たち教育者はその動機に合わせてカリキュラムを作る時、自分の日本語教育の目的が何であるかを深く考えなければならない。

2 新しい時代の日本語教育の目的

日本語教育の目的は時代によって、認識が違うのである。外國語の教育は時代によって制限され、また時代によって更新されるようである。いまの中國では、國の政策の変わり、科學技術の発達、コンピューターの普及、通信の迅速化などで、かつてなかった新しい時代が訪れた。2008年北京五輪、2010年上海萬博の申請の成功、WTO加盟などで中國國際的な地位も大きく変わった。そして世界は國際化に向かって発展していて、経済はグローバル化されている。世界各國の間の合作と交流は要求され、違った國籍、異なった文化の人たちが一緒に働く仕事環境も形成されつつある。そういう情勢の中で外國語の教育はいかにして教育対象にもっと外國のことをよく理解させ、外國人との意思疎通ができるようにするかを研究する必要がある。日本語教育の場合、時代の要望に応えて日本語教育の目的を一歩進んで検討する必要もある。
周知のように大學での日本語教育は二種類に分けられ、専攻日本語教育と非専攻日本語教育である。2001年11月に出版された『大學専攻日本語基礎段階 教育大綱』によると、専攻日本語教育の基礎段階の目的は「學生がしっかりと勉強し、日本語の基礎知識を身につけるように導き、聴力、會話、読解、作文の基本技能を訓練し、言語の実際応用能力を養成し、學生の日本社會文化の知識を豊かにし、文化の理解力を培うことによって、高學年段階の勉強にしっかりした基盤を築く」ことである。
その目的を実現するために、この段階では主に聴くこと、話すこと、読むこと、書くことの四つの技能の訓練、日本語語學力の養成、日本文化に対する理解力の育成をすることである。
高學年段階の教育目的は「言語の基本能力を鍛え、日本語の実踐能力を高め、文化知識を充実させ、さらに知識面を広めようとする。學生は本科を卒業するとき、日本の語學、文學、社會文化(地理、歴史、政治、経済、風俗、宗教などを含む)の分野の基本知識を身に付けるべきであり、就職後、ごく専門的な分野を除いた各種の通訳、翻訳及び日本研究に関わる研究や教育の仕事において即戦力となるようにする」ことである。
それは2000年3月に正式に出版された『大學専攻日本語高學年段階 教育大綱』で決められた目標で、その段階の教育でも主に日本語語學能力の向上、日本に関する総合知識の勉強、卒業後の仕事能力の養成をすることである。
大學非専攻日本語教育の場合、2000年4月に出版された『大學日語教學大綱』(第二版)によると、大學非専攻日本語教育の目標は、學生が強い「読む」能力、一定の「訳す」「聴く」能力、初歩的な「書く」「話す」能力を持つように養成し、また學生が日本語を道具として専門に必要な情報をキャッチできるようにし、全面的に日本語運用能力を高めるために割合によい基礎を作ることである。
その目標をよく考えてみると、大學非専攻日本語教育の重點は強い読む能力の育成にあり、専攻日本語教育と同じようにやはり語學能力の養成である。
コミュニケーション能力の育成は、日本では國語教育の目指す目標になっている。前述したように、いまの學生が就職後、國際的な環境で仕事をするチャンスが多いので、國際環境に適応する能力の育成は大事なことである。専攻日本語教育でも、非専攻日本語教育でも、語學能力の養成、文化の理解力の培い、文化の基本知識を身に付けること、大綱の目標で要求されたこの三つだけでは足りない。長い目で見れば、コミュニケーション能力の育成、さらに異文化コミュニケーション能力の育成を重視し、それを目標にして、いろいろ工夫しなければならないであろう。なぜかというと、語學能力とコミュニケーション能力は違う能力であり、語學能力があっても、コミュニケーション能力がない場合もあり、同じ中國人で、同じ中國語を使っても、うまくコミュニケーションすることができない場合も多いからである。また異文化理解と異文化コミュニケーションも違い、異文化理解ができても、必ずしも異文化コミュニケーションができるとはかぎらない。異文化理解と異文化コミュニケーションの違いは理解力と交際力の違いで、異文化理解は異文化コミュニケーションを包括することはできなくて、ただ異文化コミュニケーションをするための基本要素である。両者は相互依存の関系であり、異文化コミュニケーションをする過程で異文化理解を深めていくことができる。以上のことを考えて、日本語教育の目的は語學能力の育成、異文化理解のためだけでなく、異文化コミュニケーション能力の育成のためでなければならない。
それでは、日本語教育の目的は異文化コミュニケーションのためであると言えるであろうか。人間がコミュニケーションをするのは、コミュニケーションのためではなく、社會文化行動(日常生活、仕事、情報の取得、娯楽など)のためである。異文化コミュニケーションをするのも、やはりビジネスのためか、文化のためか、友好のためか、何かの目的のためである。大學の日本語の教育の中で、異文化コミュニケーション能力を育成しながら、將來異文化コミュニケーションを通じて何を実現するかも學習者に教えなければならない。つまり日本語教育の最終的な目的は異文化コミュニケーション能力のためではなくて、社會、文化、経済的なインターアクションのための能力の育成でなければならない。

3 日本語教育で異文化コミュニケーションの果たす役割

異文化コミュニケーションは現在大きな研究分野になって、外國ではその研究が盛んに行われ、高い水準の研究論文もたくさん発表された。私は最近はじめてその課題に入り、まだ何も分からない。異文化コミュニケーションの観點から考えてみると、実はずっと前から日本語教育の中で異文化コミュニケーションがもう存在していて、そして日本語教育に大変役に立ったのである。例えばずっと前から日本語教育の中で日本人の専門家を招聘して、講義をしていただいたので、その時から日本人の先生が授業內外で私たちと日本語でコミュニケーションをしてきたわけである。日本人先生との異文化コミュニケーションで私たちは正しい日本語の発音、イントネーションを身に付け、日本事情も分かり、標准な日本語の習得もできた。いまの時代の日本語教育ではなおさらである。各大學の日本語學科では日本人の先生が教えているし、家でコンピューターを使ったら、毎日たくさんの日本人と異文化コミュニケーションができるようになった。実際各大學の日本語教育の中で次のような形で異文化コミュニケーションが行われ、大いに日本語教育に役立ったと思う。
a、授業內と授業外の活動を通じて、日本人先生との異文化コミュニケーション
b、日系企業で実習、社會調査、通訳などをして、企業內の日本人との異文化コミュニケーション
c、旅行社に行ってアルバイトのガイドさんになったりして、日本人観光客との異文化コミュニケーション
d、日本人留學生との交歓活動をして、日本人留學生との異文化コミュニケーション
e、日本専門家の講義、日本企業の関系者の講演などを聞いて、専門に関わる面での異文化コミュニケーション
f、家庭教師として、個人的に日本人に中國語を教えて、日本人家庭での異文化コミュニケーション
g、ペンパルクラブの活動を通じて、文通で日本人との異文化コミュニケーション
h、コンピューターを利用して、メールの交換やチャットなどで日本人との異文化コミュニケーション
i、日本、日本教育研究などのシンポジウムで日本人學者との異文化コミュニケーション
j、日本を訪問して、日本國內での異文化コミュニケーション
以上のような異文化コミュニケーション活動を通じて私たちにとっては、異文化に対する理解が深められ、異文化に対する適応能力も鍛えられた。異文化コミュニケーションが現場の日本語教育に役立ったことは明らかなことである。その役割は纏めると、次のようにいくつか挙げられる。
a、日本語教育者と日本語學習者の情熱と積極性を高められる。
b、「聴く」「話す」「読む」「書く」という語學力を実際に生かすことができる。
c、生きた日本語の習得もできる。
d、日本文化に対する理解を深められる。
e、相互の信頼と友好を強められる。
f、お互いに學び合い、助け合い、勵まし合い、共に進歩できる。
g、異文化コミュニケーション能力を鍛えられる。

4 日本語教育における異文化コミュニケーションの問題點

いま各大學の日本語學科では日本人教師が講義をしているので、各大學の日本語教育には異文化コミュニケーションの場ができている。日本人教師と中國人教師のコミュニケーション、日本人教師と中國人學生のコミュニケーション、基本的にはこの二種類の異文化コミュニケーションが存在するわけである。教師間の異文化コミュニケーションでは中國人教師は日本人教師を専門家として、せっかく日本から招いてきたから、大事にし、尊敬し、協力と指導を願って、コミュニケーションをするのである。學生の場合も日本語を教えていただくつもりで、日本人教師を中國人教師より大事にして(外國のお客さんだから)進んでコミュニケーションをする。日本人教師も中國の法律を守り、中國の日本語教育に役立たせるために、中國人教師と中國人學生と異文化コミュニケーションをする。異文化コミュニケーションは順調に行われているようであるが、小トラブルもないわけではない。口げんかがあり、陰で悪口を言っているのも事実である。やはり研究して解決すべき問題がある。見たこと、聞いたこと、體験したことを纏めてみると、まだ次のような問題點があるのではないかと思う。
a、日本語教育の中で異文化コミュニケーションをする意識が足りない。
b、言語の壁で異文化コミュニケーションをする主動性を妨げる。
c、価値観の違いで、物事を考える出発點が違う。
d、國別の意識が強すぎる。
e、國際環境下の相互信頼がまだ足りない。
f、生活の中で相手に懐疑を抱く。
g、風俗習慣の違いで理解しにくいところがある。
h、援助と競爭の意識が欠乏。
i、性格の違いで心と心の付き合いが難しい。
j、本當の相互尊重も難しい。
k、言葉の表現で生じた誤解もある。
そのほかにまだいろいろな問題があるだろうと思うが、それはあたりまえのことである。問題がなければ、かえって不正常になる。人間が生きているかぎり、必ずいろいろな問題にぶっつかり、絕えず解決して成長していくのである。痛みの伴わない成長はありえない。異文化コミュニケーション能力も痛みを伴いながら育成されるのであろう。異文化コミュニケーション能力は學習によって、高めることができるそうである。上述の問題を正視し、効果的な解決方法を見つけるために、異文化コミュニケーションを研究し、その研究成果を生かして、だんだん良い國際的な仕事環境が作り出されるであろう。

5、終りに

従來の日本語教育では文化知識の伝授と語學能力の養成を目標にしてきたが、これからの日本語教育は知識の伝授から異文化に適応する能力の育成に転換し、異文化コミュニケーション能力の育成に力を入れるべきである。異文化コミュニケーションは日本語教育の最終目的ではなくて、日本語教育の最終目標であるインターアクションを実現するための手段である。そのためには日本語教師自身も異文化コミュニケーション能力を高める必要があり、その能力を高めるには、教師自身もいろいろ學習しなければならない。特に過去の成功した経験も非常に貴いもので、それを整理して記錄しておくのも意味深いことであろう。

參考文獻

[1] 教育部大學外國語専攻教育指導委員會日本語組(2001)『大學日本語専攻基礎段階教育大綱』 大連理工大學出版社
[2] 大學日語教學大綱修訂組(2000)「大學日語教學大綱」(第二版)高等教育出版社
[3] 譚晶華(2002)「中國大學日本語専攻のシラバスと四、八級試験要綱について」『日本研究文集 5』
[4] 青木美樹(2003)「國際経営と異文化コミュニケーション―日本企業の場合―」『アジア太平洋地域における日本語教育と日本研究――現狀と展望』
[5] J.V.ネウストプ二―(1999)「コミュニケーションとは何か」『日本語學』
[6] 高木展郎(1999)「コミュニケーションをどう教えるか」『日本語學』
[7] 高橋俊三(1999)「コミュニケーション能力の育成」『日本語學』
[8] 上野田鶴子(1999)「コミュニケーションと日本語」『日本語學』
[9] 佐々木瑞枝(1999)「コミュニケーション能力について考える」『日本語學』

本文在2003年11月香港第六屆國際日語教育、日本研究研討會上發表。

⑩ 要寫日語論文了,規定寫日本文學、語言學、翻譯學或日語語言教育學方向。 有沒有可以推薦的題目

我幫你找找,千萬不要抄襲呀,對你以後不好哦。參考是可以的。我找了幾篇給您,希望對您有幫助。

《論日本古代的楚辭研究》
王海遠
內容提要 日本古代的楚辭研究,可以大致分為兩個階段。第一階段從《楚辭》傳入日本到安土•桃山時代。第二階段為江戶時代。在這一階段中具有代表性的研究者當數西村時彥,其對楚辭的研究可以用細致入微來加以形容。當我們在對楚辭進行研究的時候,不僅要從中國詩歌這一角度來進行研究,同時也應該具有從異國角度來進行研究的眼光,看看國外學者是如何接受楚辭並給出他們自己的解釋的。將這二者結合起來,也許能夠從中看出一些問題,並且能夠更加清楚地看出楚辭在世界詩歌史上的地位,同時這也是一個文化傳播和被接受的問題。
關鍵詞 日本 楚辭研究 《楚辭》

日本的楚辭研究是「傳統漢學」與「中國學」中的一個分枝。藤井倫明在其《古代日本漢學簡史》一書中,對日本各時代的漢學特徵,作了如下說明:在古代,漢學的受眾以貴族為主體,在學習方式上以攝取和模仿為主;中世漢學的受眾以僧侶為主體,對中國文化處於消化和研究的階段;近世以儒者為受眾主體,在這一時期,日本學者已能自由地應用中國文化,並能將中國文化與日本本土文化有機融合;到了近代和現代,日本學者是從研究者的角度來看待中國文化的,並將這一學問提高到具有科學性、客觀性、學科化的高度。
作為日本漢學一個分支的楚辭研究,其發展軌跡自然也大致同於整個日本漢學發展的過程。如果劃分大的階段,日本的楚辭研究,如同整個漢學一樣,也應該以明治時代為界,劃分為古代階段與近現代階段。



中國典籍什麼時候流傳至日本的?我們一般都是根據日本的《古事記》和《日本書記》的記載,認為中國典籍最早傳入日本的時間,是在應神天皇時代。
《楚辭》究竟在何時傳入日本,確切時間難以考訂。據竹治貞夫的《楚辭研究》一書所說,推古天皇時期的執政聖德太子於公元604年3月所頒布的十七條憲法大概可以算是日本最早受到《楚辭》影響的文獻。十七條憲法中的第十條曰:「絕忿棄嗔,不怒人違,人皆有心,心各有執。彼是則我非,我是彼非。我必非聖,彼必非愚,共是凡夫耳。」(1)這段話中的「人皆有心,心各有執」,被認為是受到《離騷》中「民生各有所樂兮,余獨好修以為常」,「民好惡其不同兮,惟此黨人獨異」及《九章·懷沙》的「民生稟命,各有所錯兮,定心廣志,余何畏懼」等詩句的影響。(2)十七條憲法中的第十四條曰:「無有嫉妒」,「千載以難待一聖」,其中的「嫉妒」一詞被認為是從《離騷》中化用而來的。稻畑耕一郎在其《日本楚辭研究前史述評》中提到,在收入《大日本古文書》卷一的《寫書雜用帖》中,有一條關於《楚辭》的記載:「《離騷》三帙,帙別十六卷。天平二年七月四日,高屋連赤磨」。稻畑耕一郎認為「此處所謂《離騷》,不待言指的正是《楚辭》。天平二年即公元730年,值唐玄宗開元十八年。此乃日本著錄《楚辭》之始。」(3)藤野岩友也曾著文說明《楚辭》已經對7世紀成書的《懷風藻》和《日本書記》等產生了影響。(4)
平安時代,藤原佐世於公元891年左右所編撰的《日本國見在書目錄》是日本現存最早的一部敕編漢籍目錄,在此書中有關《楚辭》的著作共有六種。
此外,比藤原佐世編撰的《日本國見在書目錄》成書略微早點的還有《秘府略》,由滋野貞主撰,全書共1000卷,公元831年成書。這是日本最為古老的類書(將漢籍中的事物以類分別編輯),可惜此書今僅存2巻,否則我們當能得到更為詳細的關於《楚辭》在日本流布的情況。



中日兩國相隔一衣帶水,自古以來就在政治、經濟、文化等諸多領域中有很多交往。日本文化是以其自身原有文化為基礎,同時主動大量吸收中國文化,並加以改造從而形成自己的文化體系。中國古代文化對日本的影響,首先表現在文化典籍的傳入上。中國古代文化典籍流布於日本乃是經由百濟而實現的。故有學者認為從公元285年到公元653年之間,是日本漢學的朝鮮化時期,因為其間日本多次向朝鮮派遣學問僧或要求朝鮮向日本派遣儒學博士。直到日本開始向中國大量派遣遣唐使才是日本漢學的中國化時期。而日人神田喜一郎在其《飛鳥奈良時代の中國學》(5)一書中認為,中國學問傳入的時間,應當在繼體天皇七年百濟的五經博士段楊爾來日、第二年五經博士漢高茂來接替段楊爾來日之時。到了平安時代(794—1184,相當於我國中晚唐到南宋時期)是日本社會封建化時期。在這一時期,日本皇室大力提倡學習中國文化,多次派遣遣唐使前來學習,整個貴族階層以漢文化為精神財富,主動學習漢文化。如平安時代著名學者慶茲保胤在《池亭樂》中這樣寫到:「飯飡之後,入東閣,開書卷,逢古賢。夫漢文帝為異代之主,以好儉約,安人民也;唐白樂天為異代之師,以長詩句,歸佛法也;晉朝七賢為異代之友,以身在朝,志在隱也。余遇賢主、賢師、賢友。一日有三遇,一生有三樂。」(6)可惜的是,這一時期是否有日本學者對《楚辭》進行過研究,從現存的資料上已無法考知。
就我們目前所知,真正意義上的《楚辭》研究應當從江戶時代才開始。據日本學者石川三佐男先生統計,江戶時期與《楚辭》相關的漢籍「重刊本」及「和刻本」達70多種。「和刻本」是指古代日本翻刻的漢籍,是漢籍在域外傳播最活躍、最發達的一個系統,其中比較著名的有五山本、正平本。
這一時期《楚辭》研究之所以能得到日本學者的重視,這同德川幕府將儒學特別是「朱子學」定為「官學」有很密切的關系。以故,日本學者將江戶時代的儒學稱為「宋學」。將宋學作為一門獨立的學問,其創始人是江戶時代的學者藤原惺窩。《楚辭》在江戶時代最早的翻刻本是朱熹的《楚辭集注》,另取《註解楚辭全集》為書名,於慶安四年(公元1651年)京都村上平樂寺刊行,是日本《楚辭》訓點本中最早的出版物,由藤原惺窩訓點。
中國典籍傳入日本後,由於語言文字上的差異,只有具有深厚的中國語言文字功底的學者才能讀懂中國典籍並從事研究。到了宋學傳入日本之後,讀懂中國典籍成為日本學者迫切需要解決的一個現實問題,於是出現了「漢籍和訓」的方法。所謂「漢籍和訓」實際上就是變「漢文直讀」為「漢文譯讀」,即在漢文原著上,按照每一漢字的訓詁意義標上日本假名,從而使得不懂漢文的人也能讀懂。「漢籍和訓」對漢文典籍的推廣和普及起了很大的推動作用。
《註解楚辭全集》將朱熹的《楚辭後語原序》與何喬新的《楚辭序》置於卷首,然後是目錄以及朱熹的序目,再後是《馮開之先生讀楚辭語》。此書作為「訓點」及「文選讀」(一種音訓兩讀的方式。其訓點的標注方法是,本文語句的右側下方標注隨音讀的「送假名」——活用語,即有詞尾變化的詞語的詞尾——及助詞,左側則標注返點及解釋詞語意思的訓讀)等資料所表示出的信息則是,在江戶時代《楚辭》不僅在學者中,同時在普通百姓中也是廣泛流傳的,從這一點來看,此書有著非常高的價值。
繼朱熹《集注》後,寬延二年,即公元1749年,洪興祖的《楚辭補注》,以《楚辭箋注》的名稱出版,稻畑耕一郎說:「這個本子只有句讀,沒有訓讀。」(3)
寬延三年,王逸的《楚辭章句》也在日本刊行了。
稻畑耕一郎說得對,在江戶時代出現了《章句》、《補注》、《集注》這三種《楚辭》基本書籍的翻刻本,這「本身就是巨大的成果」(3)。
日本為《楚辭》作注的學者,首先要提到的是江戶時代早期的淺見絅齊(公元1652—1711),其著作為《楚辭師說》八卷、《〈楚辭〉後語》六卷,他以音訓為主,同時加以意訓。《楚辭師說》其實是淺見絅齊的課堂講義,由其弟子若林強齋筆錄而成。而淺見絅齊作為朱子學學者,其對《楚辭》的理解不出朱熹的范圍,基本上沒有什麼自己的見解。
在淺見絅齊之後,對《楚辭》比較有研究的日本學者當數江戶中期的學者蘆東山(出身於仙台藩大東町,生卒年:1696—1776)。蘆東山本身是個刑法學家,並非專研《楚辭》者。他之所以研究《楚辭》和他的經歷相關。蘆東山於元文二年(公元1737年)遞交請願書,結果處以幽閉的處罰,幽閉了24年,直到1761年為止,而此時離其辭世僅有5年的時間了。所以蘆東山自己一直說,「我是現在的屈原」,並作詩自比屈原,《玩易齋遺稿》卷七有詩《仲春東遷》一首:

嚴譴投荒二十年,今春此去轉凄然。
誰知孤客東遷日,哀郢吟成最可憐。(9)

其自注雲:「楚國凶荒之後,仲春屈原東遷,作《哀郢》詞。與余同懷者,千古惟有屈大夫耳。」(3)因為身世的緣故,蘆東山研究《楚辭》,不僅僅停留在對《楚辭》字面的理解上,而是深入到人生觀的層次,因為他在《楚辭》中找到了現實世界中所沒有的精神寄託,找到了他的人生相知。因此他決定注《楚辭》,取名為《楚辭評園》。筆者曾在日本大阪大學懷德堂文庫查看資料時,翻閱過這本書。
《楚辭評園》以《註解楚辭全集》(缺《楚辭燈辯》)為底本,其中記有大量手批文字,並且在書上訂了很多寫有批註的紙張。第一頁左肩題有「《楚辭》評園」,卷首置有《楚辭總評》和《各家〈楚辭〉書目》。前者抄錄了司馬遷、班固、揚雄、王逸、曹丕、蕭統、沈約、江淹、庾信、劉勰、李白、韓愈、柳宗元、杜牧、賈島、劉知幾、皮日休、蘇軾、洪興祖、朱熹、祝尭、高似孫、江彥章、陳傅良、李塗、葉盛、蔣翚、何孟春、姜南、張時徹、李夢陽、何景明、茅坤、朱應麒、王世貞、劉鳳、胡應麟、孫礦、陳深、黃繼儒、黃道周、陳仁錫、蔣之華、陸時雍、宋瑛、陸鈿、蔣之翹、金幡等四十九家的《楚辭》評。後者則錄有《王逸楚辭》十七卷、《楚辭釋文》一卷、《補注楚辭》十七卷(考異一卷)、《重編〈楚辭〉》十六卷、《續楚辭》二十卷、《變離騷》二十卷、《龍崗楚辭說》五卷、《楚辭贅說》、《楚辭集注》八卷的解題,還抄有司馬遷的《屈原傳》及沈亞之的《屈原外傳》。本書版框外還抄有上述各家的注與評,還加上了為數不少的「德林按」(即作者自己的按語)。蘆東山不僅匯集了中國歷代的評論,還加入了其自己的按語。由此可見,蘆東山對《楚辭》研究是傾注了大量心力的,但可惜的是這一研究尚未完成,東山就已去世,本書最終還是停留在稿本狀態,並沒有成書出版,這不能不說是日本《楚辭》研究史上的一大憾事。
竹治貞夫著文介紹日本最早的《楚辭》研究者是秦鼎。秦鼎(1761―1831)是尾張藩藩校明倫堂教授,美濃人,字士鉉,通稱嘉奈衛,號滄浪、小翁、夢仙。其父是苅谷藩儒學家秦峨眉。秦鼎從其父繼承家學,後師從細井平洲。他長於校勘,有《春秋左氏傳校本》、《國語定本》、《世說箋本》、《楚辭燈校讀》等。
秦鼎翻刻了林雲銘的《楚辭燈》,同時秦鼎做了下列幾件事。一、卷首加了二篇序(尾張秦鼎《重刻楚辭燈序》、《秦鼎又題》)。二、附了日本「訓讀」。三、對卷首附錄的《屈原列傳》作了少量評注。四、在《楚辭燈》中並載屈復《新注》,用此方法讓讀者參照並讀。將秦鼎與淺見絅齊相比,淺見絅齊於1711年去世,而秦鼎1761年方才出生,淺見絅齊的《楚辭師說》比秦鼎的《楚辭燈校讀》要早很多。因此,竹治貞夫將秦鼎確定為日本最早的《楚辭》研究者,是不恰當的。



江戶時代,在《楚辭》研究上取得了成績的是龜井昭陽(1773―1836),他是龜井南溟的長子。生於福岡,名昱,字元鳳,通稱昱太郎,號昭陽、空石、月窟、天山遯者等。繼其父之後為福岡藩儒。著書有《論語語由述志》二十卷、《楚辭玦》二卷等共四十種。而在明治時代在《楚辭》研究上取得成績的是岡松瓮谷(1820-1895),他求學於日出(大分縣日出町)帆足萬里家塾「西奄精舎」,仕於熊本藩。明治維新後,任昌平黌教授、大學少博士。後任東京大學教授、東京學士院會員,被稱為漢文大家。著書有《莊子考》四卷、《楚辭考》四卷、《論語講義》四冊等。由於如上文所已說的岡松瓮谷死於1895年,他的一生都在19世紀,因此,本文將他放在這一節中,一並加以說明。
對龜井昭陽的《楚辭玦》與岡松瓮谷的《楚辭考》,竹治貞夫都給予了很高的評價,對前書,他說「本書註解的特色,是它具有透徹的合理性,和根據古代文獻的恰當而一針見血的提示」,「作為日本學者的不可多得的《楚辭》研究著作,應當說它還是有其不可忽視的價值」的;對後書岡松瓮谷的,竹治貞夫稱之為「溫雅之中含有卓見的佳作」(1)。然而,兩書的價值並不等同,依稻畑耕一郎所說,《楚辭玦》是一部「讀騷札記」,逐條摘錄《楚辭》辭句,並於其後寫下自己的見解,也有改正舊注之處。而岡松瓮谷的《楚辭考》,則「是最早的一部由日本人編撰的對《楚辭》進行了全面注釋、並且是唯一用漢語寫作的《楚辭》注本」(3)。
江戶時期的日本學者對我國《楚辭》注本的收集也是下了功夫的,也有兩位代表人物。
其一,江戶時代初期幕府的漢學巨擘林羅山。林羅山,又名林忠、林信勝,字子信,又號三郎、道春等。他是日本漢學史上一位極重要的學者。他將中國儒學從以前漢學家所認定的「修身齊家」的自我修養,提到「治國平天下」的高度,從而把原本是日本漢學中的一個流派——朱子學,提高到德川幕府時代官方哲學的地位,林羅山本人也成為這一時代日本漢學的象徵。他收藏有明萬曆十四年刊本《楚辭》,卷末並有其手識文與訓點。並且有《書楚辭後》一首詩,曰:「《楚辭》一部思忡忡,宋玉之徒慕遺風;可嘆三閭大夫志,忠貞節操傳無窮。」此書現存於日本內閣文庫。
其二,江戶中期大阪學者木村孔恭。木村氏兼通和漢之學,取《詩經·蒹葭》篇名,將自己的藏書處名為「蒹葭堂」。他曾校點清人鄭亦鄒的《白麓藏書鄭成功傳》,是一位著名的漢學家。「蒹葭堂」本以明代與清初刊本居多,並且有許多江戶時代的手寫本。其中「《楚辭》類」書大體有四種,一為明古與堂刊朱熹《楚辭集注》,一為明末刊朱熹《楚辭集注》,一為明刊張正聲《廣離騷》,一為日本江戶時代吳仁傑《離騷草木疏》的手寫本。此四種書如今也存於日本內閣文庫。



在這一階段中,日本學者是以中國文化為母體,通過直接閱讀中國的典籍來學習中國文化,並用漢字書寫研究成果。同時以模仿中國文化為能事,如作漢詩、漢文、習書法等。同時在對文學作品的品評標准、審美觀念以及研究方式等各個方面都採用中國文化的方式。從文化交流以及交流後的互動關系來看,這一時期的中國文化與日本文化的關系正如母文化與子文化的關系,是單向流動的關系,是被學習、被模仿的關系。而本時期的日本學者根本就沒有把中國文化作為外來文化對待,他們不自覺的嘗試融入中國文化之中,試圖從學習與模仿的層次進入參與和創造層次。所以這一時期的日本學者對中國文化是沒有距離感的。而這一時期日本學者的對於包括《楚辭》在內的中國古代典籍的研究方法,基本上是延承中國古代的研究方法,以訓詁、考據、義理為主,同時還對我國歷代的《楚辭》注本加以評介和介紹。

參考文獻:
(1)竹治貞夫.楚辭研究[M].東京:風間書房,1978.
(2)藤野岩友.楚辭對近江奈良朝文學的影響.
(3)日本楚辭研究前史述評[J].江漢論壇,1986,(7):55.
(4)藤野岩友.中國的文學與禮俗[M].東京:教川書店,1976.
(5)神田喜一郎全集(第8卷)[M].同朋舍,昭和六十二年(1987).
(6)嚴紹璗.日本中國學史[M].南昌:江西人民出版社,1993.

[作者簡介]王海遠(1973-),男,江蘇鎮江人,文科版主任,文學博士,從事先秦文學與文論研究。

另有:

日本最初原創現代偵探小說的中文譯介——《無慘》翻譯的文本研究
http://www.360doc.com/content/12/1215/18/4310958_254224247.shtml

日本當代女性文學研究——津島佑子文學中的家庭觀
http://www.360doc.com/content/12/1203/21/4310958_251847763.shtml

日本漢詩的吟誦及啟示
http://www.360doc.com/content/12/0624/21/4310958_220210786.shtml

近年日本出版部份《易》學書目
http://www.360doc.com/content/12/0401/19/4310958_200044324.shtml

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